思想荷重

押しつぶされし日々。

父子帰省と持病の話と八月二十四日


昨日の夕食後から続いた胃もたれは、

結局朝まで治まることなく

わたしの今日の日を寝不足と怠さで

ひったひたに満たしてくれた。

 

帰宅後も続く怠さ。

それでも今日は夫と息子たちが

所謂「父子帰省」をする日で

駅まで送っていく予定があった。

お盆休みはどこも混むので

いつもこうして時期をずらして帰省する。

自宅は私の実家に近いので、

帰省と言ったら夫の実家へということになる。

 

夫の実家は大阪にあって、こちらよりはよっぽど都会。

家族ごと大阪に住んでいた時期もあって、

息子たちふたりとも大阪の病院で生まれた。

しかし私には都会生活を営む才能というものが全く無かった!

そう、絵を描ける人、描けない人。

泳げる人、泳げない人。

この構図で都会に住める人と住めない人がいて

わたしは圧倒的後者だった。

これはわたしにも誤算だった。

きっと田舎に住める人、住めない人もいるよね、

 

そしてある程度金銭的に余裕でもあれば

どうにか息をする隙間でも作れそうなものの、

若い夫婦に金銭的余裕もなく、

そして夫はとても協力的だったのにも関わらず

長男の神経質な性格とわたしの性格の最悪の相性の

ぶつかり合いで、わたしはどんどんと疲弊していき

(相性はよろしくなくても、息子なので最高に愛おしいから

なお苦しい)

次男出産後に潰瘍性大腸炎という

突飛な病気を発症してしまった。

劇症型で発症して、一時は大腸を摘出する可能性も。

と言われたが、ステロイド治療が効いて寛解へ持ち込めた。

これ以降も二回ほど長期入院している。

それからは年齢を重ねてホルモン分泌が

それほど盛んでなくなったからか、薬があったか、

なにせ難病(原因不明)なものだから何もわからないけど

幸いなことに寛解維持できている。

しかし、もし次回発症することがあったら

もう大腸を捨て去る決意をしている!

 

病気に関してはもうなんとも思っていない。

人生に訪れた一つの転機。

正直に言ってこの経験からわたしは多少なりとも

卑屈になったしネガティブにもなった。

底なしの痛みと絶望と、トイレで蹲る夜を

忘れたくても忘れられない。

何をしても結局あの絶望へ帰るのか?

と疑心暗鬼になってしまう。

今が幸せでも次の朝にはお腹が痛み出すのでは?

そう思って何もかもが億劫になった時期もある。

 

その反面、この経験があるからこそ知れた闇が

わたしの人生に深度を与えたと思う。

これを抱えた人に、わたしは気付ける。

そして寄り添えなくとも存在を理解し

誰のせいでもないよと、もしかしたら肯定すら

言葉にできる距離に近づけるかも知れない。

以前のわたしでは知りえなかった感情に背景。

これは大きい。そして、わたしは生きている。

何も失ってはいないのだ!

 

そうして長期入院、療養とで

子どもを保育園に預ける必要が出てきた。

しかし、大阪では療養目的での保育園入園なんて

絶対に不可能!

という流れで私の実家近くに移り住み、

かれこれもう10年ほどが経った。

 

夫には一番感謝している。

彼はいつだって底なしに優しい。

今日も三人の後ろ姿を見送って一抹の寂しさに襲われたが

その大半は夫の不在に対するものだった。

振り返ると人生の半分近くを一緒に過ごしている。

親と過ごしたよりも長く。

優しい夫に対して、自分はなんてダメな奴なんだと

卑屈になるときもある。

よく夫婦は鏡だというけれどそんなことはない。

うちの鏡は多分壊れているか変な魔法にかけられている。

こんなにも自分勝手な女のどこがいいのか

わたしにはよくわからない。

 

さぁそうして午後八時に駅に送り届けてから

わたしは本屋さんで本を買った。

え、まだ読みかけの本がたくさんあるのに。

そう、今日は三島由紀夫潮騒」を読み始めた。

今日買ったのは

芥川龍之介「河童・ 或阿呆の一生

この間読んだ村上春樹の小説で出てきた

「歯車」という短編を読んでみたくて。

 

日曜日に彼らが帰ってくるまでに

掃除と洗濯と宿題と二学期の準備物のチェックと。

そして読書!

そうして息を荒くしていたら

いつのまにか怠さを忘れていた。

 

おやすみなさい。

今日はゆっくり眠ります。