思想荷重

押しつぶされし日々。

某事務所のお話と日本の闇と九月九日


昨今の某芸能事務所の問題について。

 

これは芸能界全体、

そして日本全体に蔓延った昭和イズムの

どうしようもない汚点。

主語がでかすぎると言われそうだけど

昭和の時代からずっと、日本が壊れ続けているのを

どれだけの人がちゃんと認識しているだろう。

 

諸悪の根源はどうしても第二次世界大戦となる。

軍事主義が全てを変えた。

敗戦国になった、なることは決まっていた戦いに

挑んだ時点でもう日本は半分沈んでいる。

悲観でない、事実として。

 

それは何より、教育を変えたから!

軍国主義の日本で、

今でいうハラスメントしかなかったような教育現場。

(もちろん全部の教育現場がそうであったわけではない)

自分のやりたいこと、将来の夢より先に

国の行く末の健やかであることを祈らなければならない。

 

大人たちは子どもではなく、

国や社会、そして日々の生活に精一杯で

家庭への愛を顧みることができなかった時代。

父親や男兄弟は戦地へ行き、

周りにも死の話題はありふれている。

 

これが、たった三世代ほど前の出来事。

ここで幼少期から青年期を経た世代が

どらだけの心の傷を受けたかは計り知れない。

日本中の若者の傷だ。

この時代をどう切り取れば

「まとも」であった瞬間が見られるか。

せいぜい人一人が踏ん張っても

あまりにも大きすぎる時代の波にのまれる。

この歪みは先にも言ったように

「敗戦」で決定的に修正手段を失った。

 

終戦後焼け野原になった東京が

「都市計画」を打ち立てたのを知っているか?

荒野となった東京を世界都市に発展させるべく

何人もが立ち上がった。それは素晴らしい計画で

実現すれば今のような混沌とした都市でなく

世界最先端の都市として生まれ変わるはずだった。

それを良しとしなかったのが米国だ。

『「都市計画」などいらない、「復興」で十分だ。』

これが米国の意見で、広がった闇市も土地の略奪も

全て放置され恒久性のある計画より、

小手先の処置を優先させた。

これが日本中の全てで同様に。

目先の計画性しか無い復興により

日本の街は何世代にも渡って不安定なままだ。

 

そして今じゃ宗教というカテゴリーの話に

アレルギー反応を示す人も多数いるが、

日本は当時、

世界一の宗教国家だったと言っても過言ではない。

天皇は神そのものだったのだから。

みんな神を信じて、信じる者がいるという世界に生きて

それが日々の道しるべだった。

(わたし個人的には現在の天皇制についても、

天皇の戦争責任についても思うところはたくさんあるが

これ以上は言及しない。)

 

信じる者がいるということは、

倫理観をそのものに委ねられるという面で

とても有効的だと思う。

信じる者がYESと言えばYESだし、

NoだとNoなのだから、

自分で物事の決断をしなくていい。

『決断』というのは

実はものすごくストレスのかかることで

人はどうにか決断を避けたがる傾向にある。

そして神がYESと言った戦争に

突っ込んでいった日本。

Noと突き上げた声は見事にかき消されてしまった。

それほどに大きな力を持っていた神を

米国はまんまと利用した。

戦後の日本の民主主義化と資本主義への傾倒に

大きな一役をかってもらうために。

 

上記二点だけでも、

わかっていただけるだろうか

戦後主に米国に

どれほどに日本の根幹を捻じ曲げられたか。

そして当時の若者の心の根が泣いていたか。

 

この頃になって「親ガチャ」という言葉を聞くが、

大体そういう場合は親だけでなく何世代にも渡る

悲劇の積み重ねであったりする。

それは経済的に、倫理的に、道徳的に。

虐げられてきたものの記憶と感情との蓄積。

フランスであれば革命が起きているだろう。

民衆の歌が聞こえてきそうだ。

 

もちろん幸せに、何不自由なく

愛し愛されて育った人もいるだろう。

それでも腐った世界は確かに存在して、

しかも堂々と易々とこちらに近づいてくる。

 

これが戦後に限った話ではなく、

古の時代からあった人間という生きものとしての

悪しき習慣だとしても

これをきちんと正すことのできる

正義さえ生きていればいいのにと思う。

 

わたしは米国が日本を壊したとは思っていないし、

どこも敵や味方という見方はしていない。

右でも左でもない。

過去を振り返って感想を言うなんて

とても愚かで安っぽいことをしているに過ぎないけど、

でもそう、どこでこれを修正できたか?ということを

今日はずっと考えていた。

 

どこでどうしていれば、

日本がこんなに卑怯な者たちの手に

落ちたままにならないで、

見えているものだけを信じてもいいような

そんな世の中でいられただろう。

 

ここまで考えて、

いや待てよ、

日本だけじゃない、

どこの国にも同じような腐敗臭はある。

そう気が付いて、

再び底知れない、人間の愚かさと恐ろしさを感じた。

 

権力とは本当にどうしようもない。

そしてそういうものを身に纏っている人間は

自分で気が付かないでいるだろうけど、

とても気味が悪い空気を纏っている。

これにのまれるのか、それとも取り込まれたいのか

わざと近づいていく人間がいるのもまた事実。

被害を訴えている方々は

それを気持ち悪いと捉えたからであって、

至極真っ当だろう。

テレビで加害者が持ち上げられたり

面白おかしく語られたりしていた場面を

どんな気持ちで見ていただろうと思う。

そしてそれを気持ち悪いと捉えずに

受け入れて名声を得ている当時の友人を

軽蔑する気持ちもきっとある。

(個人的意見。わたしがその立場ならきっとある。

冗談めかして名前を言ったりしているのを聞くと

多分吐きそうになる。自分がおかしいのかと錯覚する。

我慢出来ていたら違うのか?と自分を責める。

そんな理不尽なループに陥るはず。)

 

ここまで書いて、もうわけがわからない。

この闇との戦い方が。

日本中を、世界中を今なお覆っているこの闇。

歪さならいくらでもある。

この理不尽な世界で。

 

ただどうにかして、変えられないものか。

人間が人間でいるうちに。

人間が人間に失望してしまう前に。

そんなことをぐるぐると考えていた今日の日。

 

珍しく時事的なお話でした。

おやすみなさい。