思想荷重

押しつぶされし日々。

【読書記録】三島由紀夫「憂国」と八月二十三日


会社の昼休みの45分間。

自席でお昼ご飯を食べながら

読書をするのが習慣で、

今日はこのところわたしの中で続いている

三島由紀夫シリーズ

「花ざかりの森・憂国」を読了した。

 

これは三島由紀夫氏が選んだ

自身の短篇集で

どれもこれもがギラついてざらざらして、

読むと1日その感触を

首筋にずっと携えているような

そんな物語ばかりだった。

 

わたしが好きなのは「卵」「女方」「百万円煎餅」

そしてやはり「憂国

 

まずは「卵」

これにはとても驚いた!いい意味で、

こんなユーモアのある人なのだな!と。

本人のあとがきにもある通り、『諷刺を超えたノンセンス』

(この言葉選びにも、氏の壮絶なセンスが感じられる!痺れる!)

氏曰く『純粋なばからしさの高み』に達した作品。

そこに知的性が存分に散りばめられているのだから、

もうお洒落の域です。本当に。惚れ直す。何度も。

彼はいったいいくつの顔を持っているのだろう。

何ができないのだろう。

書けないものなんてないんじゃないか?

 

次に「女方

本当にね、そんな芸事の世界なんて、舞台裏なんて

覗いたこともないのに目に浮かんでくる。

主人公の目の動き、そして思考。

すべてがまるで主観で捉えてまさに自分の体験なのでは?

と思わせるほど、本当に巧い。

そしてその感情、わかるよ、って言いたくなる。

不自然がまるでない。

わたしは一度、この主人公だった前世があるのか?

それとも三島由紀夫か?と錯覚するほど。

 

「百万円煎餅」は、心理描写というより

時代背景や生活のあり様、価値観や未来感の相対性を

巧いこと配置して組み立てているなという印象。

これは日記を書く感覚ぐらいで書いたのでは?

そんなことも思うけど、やはりひとつひとつが自然で

何一つ無駄がないのに何一つ欠けていない。

物語として完璧だ。

 

ああ、どうしよう。

他の短編についても全部書いてしまいたくなってきたけど、

憂国」について書かなければ!!!

 

そう、この本のタイトル「憂国」とあるように

まさに主役。ラスボス。それが「憂国

 

これはせこい。と思った。

性と死とを並べるなんて。

しかもこんなにも美しく

そして醜く。

 

美しいふたり、美しい性愛、尊敬、生活

そして美しいはずの死と醜い死に際。

それが妻の動線が多いことで、

夫の静と覚悟とを際立たせて存在を神化させている。

軍人たるもの。日本男児たるもの。

三島由紀夫の中ではきっとこれが

人間の美しいという理想形なのだなと思った。

そして理想の男女であり、愛情の結び方なのだろうとも。

 

この本が発売された昭和43年。

この2年後に三島由紀夫は自決するのだから、

決してなんの由縁もないとは思わない。

憂国」を書いたのはさらにそれ以前だけれど、

自身の呪いであり夢でもあり美しさの体現としたら

三島由紀夫の最後と生き様の両方を表している一篇。

本人も

「三島の良いところ悪いところ全てを濃縮したエキスのような小説」

として「憂国」をあげている。

 

自決のシーンでは、本当に胸が高鳴って

ページを支える左手の親指が爪を立てて本に跡がついてしまった。

美しく心に残る映像ではないし、感動して泣けるような話ではない。

(私個人にとって。)

でもとにかく言葉の美しさに圧倒されることは確か!

まるで言葉の花火大会。

(え?陳腐ですよね、すみません、三島由紀夫にはなれません。)

 

恐ろしい!三島由紀夫

そして嬉しい!まだまだ読んでいない作品がある!

明日からは「潮騒」を読み始める。

 

は!もう日付が変わってしまった。

今日は夕飯に作ったスパゲティがとても美味しすぎて

食べ過ぎて胃もたれして

コンビニ行ってソルマック飲んで落ち着きました。

こんな美しくないわたしの日常も愛でてやりたいと思います。

 

おやすみなさい!