思想荷重

押しつぶされし日々。

吉本ばななと九月五日


今日は吉本ばなな「イヤシノウタ」を読んだ。

 

読みかけのままずっと本棚にあって、

今日たまたま昼休みに読もうと思って手に取った。

 

わたしは吉本ばななが好きだ!

わたしの読書好きの原点は吉本ばななTSUGUMI

それまでも本を読むことはあったけど、

作者で本を探すようになったのは吉本ばななが初めてだった。

 

現代文の模試の長い長い設問に使われていた一場面を

気になって気になって後から本を買って読む。

みたいなことがその当時頻繁にあって、

今思うと模試を作っていた側の意図もセンスも

なかなかいいなと思うのだけど、

それが吉本ばななの「TSUGUMI」だった。

夏目漱石も現代文の模試が入口だった。

辻仁成も現代文の教科書にあった「ミレニアム」がはじめて。

あれ?「ピアニッシモ」だっけ。

私が高校生活で唯一生きて勉強をしていたのが現代文の時間だった。

模試もちゃんと受けたのは現文だけ。褒められたものじゃない。

でもこの現文の教科書たちや文章に出会えただけで

高校に通った意味があったように思う。

学校の図書館にはいい本がたくさんあったし、

なんだ、なんて無意味な時間だったと思ってたことも

この年になってこうして後から意味を見出すことが多くなった。

無理やりに自分の人生を肯定し始めたのだとしても

それはそれで自分なりの人生の救済だ。

 

吉本ばななはずっと好き。

新刊が出たら買っちゃう唯一の作家さんかも。

彼女の文章を読んでいると「人間」がとても素敵に思える。

そうやって人のことを観察できる吉本さんも

とても素敵な人なんだろうと思う。

そして今回の「イヤシノウタ」ではご両親を失ったり

叔母さんを亡くしたりという人とのお別れに関連するお話が多い。

故人を思い出したり、温かいエピソードや夢に出てきたお話や

お友達との話もとてもいい。

そして何より言葉に、文章に音があるのが好きだ。

音と一緒に温度も感じる。

 

言葉ってとても面白い。

吉本ばなな三島由紀夫とは全然違う。

宮沢賢治村上春樹も全然違う。

それでも全ては日本語で、そして私はそのひとつひとつを

理解して感じて心が震える!

 

私にもあるだろうか、自分だけの

色のある文章を書くための言葉の泉みたいなもの。

あったらいいな、と思う。

そしたらもっともっと気持ちを大きくできて

素敵なことがもっともっと素敵になるのになと思う。