思想荷重

押しつぶされし日々。

言葉と感情とオーディオブックと九月十二日


19:30 秋雨の続くここ数日

やっと晴れ間が見えたので散歩に出ると

外はすっかり秋だった。

 

昨日ブログにも書いたオーディオブックを聞いているけど

思いのほか読みたい本との相性が良くないことに気付く。

そうだ!と思い立ち、

伊坂幸太郎で検索してみる。

アイネクライネナハトムジーク

Eine Kleine Nacht Musik.

なんでドイツ語なんだろう。

アイネクライネの響きがいいのかな、

そんなこと思いながら聞き始める。

(後記:モーッアルトの曲だったのね!)

うん、やっぱりとても相性がいい。

 

以前、『チルドレン』を読んで『サブマリン』と『砂漠』を一気に読み切った。

昼休みがとても短く感じて、わくわくして読んだ。

とても面白かったけど、

本を読んでいるのにどこか映画を観てる感覚と同じで、

わたしの望む読書体験とはちょっと違った。

たぶんそれは、言葉が物語を作っているのじゃなくて

物語に言葉を当てはめているからだと思った。

家の作り方と同じように、設計図があって

それぞれのパーツを組み立てていく感じ。

このタイプの本とオーディオブックはとても相性がいい。

 

わたしはむちゃくちゃなパーツが

どこかしらから生まれてきて

しかもそれがどんどんと闇から浮かんだと思えば

光から降ってきたり、

そんな混沌からひょこっと顔を出すような文章が

どうしてかわからないけれどひとつの人間で

ひとつの人生で、ひとつの物語を生む

そんな切り取り方の言葉の紡ぎ方が好きだ。

そこにこそ哲学があると思っている。

めちゃくちゃに偉そうな言い分だけれど。

 

それから、日本語とオーディオブックの

決定的な相性の悪さも感じた。

個人的意見かもしれないけど、

日本語には字面の美しさもあって、

漢字と平仮名とが並んで、その奥に景色が見える

それが思いのほかとても大事で

自分がそうして本を読んでいたのだなと

今更ながらに自覚した。

例えばわたしはこの一文

青桐の葉陰に柘榴(ざくろ)の花が燈火(ともしび)のように咲いていた。

川端康成『合掌』

この一文を読むと「青桐」の時点で一本の立派な木が浮かぶ。

「柘榴」は赤く青桐の葉とのコントラストが「燈火」のように浮かぶ。

こんなにきれいな言語があるだろうか、

色も影も、光も風さえも目の前に広がる。

あおぎり、ともしび。

「燈火のように咲く」心を打たれる。

自分の声が脳みそを駆け巡るとき、

それはとても美しい音となって体中を駆ける。

そしてこれは、文字を視覚で捉えて、

「作者が思いを込めて綴った字面にしか宿らないもの」

それを感じることでしか得られない景色というものがある。

そしてこれは聴覚が起点では難しくて

視覚→自分の聞こえざる声が聴かせる音(聴覚)

この順番でしか得られないものだと思う。

 

なのでこのような本や、

このような美しさを持って書く作家の本は

オーディオブックには向かない。

それこそじっと横になって

全集中して聞くとめちゃくちゃに良い体験になるかも。

それはまだ試せていないので、今晩にでもやってみたい。

でもそうして全集中している時間があるなら、

普通に本を読みたいよ。この矛盾。

 

なので今は外国語の本を聞いている。

アルファベッドの単語にも

きっと先ほどの日本語の字面的感覚を持つ人はいるのだろうけど

母国語ほどわたしには繊細に感じ取ることが出来ないので、

鈍感なまま単純に言語学習目的も兼ねて新しい経験をしている。

 

言葉と物語ってなんだろうと考える。

手段としての言葉と、目的としての言葉と。

全く違う役割を与えると、言葉ですらこのように様変わりする。

お金みたいなもの?

お金は無から自身を生み出せないけれど、

言葉は無から無限を生む。

これは大きな違いだ。

人間という生物を「言葉を操る生きもの」と定義した哲学者もいて、

=感情を操る生きもの。としても解釈できるのかも知れない。

自分と、そして他者の感情を繋ぐもの。

 

わたしは日本語が母国語であることにかなりの幸福を感じる

日本語がとても美しいからだ。

ドイツ人の友人の前で日本語を話していると、

日本語ってなんでそんなにかわいいの?という。

お気に入りの日本語は「みみたぶ」であった。

確かに、ドイツ語のような

濁音まみれで喉でかき鳴らす音まみれの言語を母国語に持つ人には

かわいらしく聞こえるのだろう。

日本語にはほとんど澱んだところがない。

こうして感情が言葉で埋め尽くされて

言葉によって作られると仮定するなら

日本にある感情はある程度澄んだものなんじゃないかな、

そんな風に自惚れてもみる。

そうであったらいいな、と思う。